希望
今年、4月に入ってすぐの事。
ちょうど緊急事態宣言が発表された頃、
ちょうど桜が咲き始めた頃、
父から電話があり、
「お母さんが、お風呂場で倒れて、救急車で病院に運ばれた」と。
人はあまりにショックだと、本当に目の前が真っ暗というか、色が見えなくなるんだと思った。
意識はいつもどるのだろうか、戻ったとして、私たちの事はわかるのだろうか?
それより何より、考えたくもないけど、このままお別れになってしまうのか?
コロナのせいで、母が運ばれた四国の病院に飛んでいく事も出来ずに、何も手につかず、ただただ泣くばかり。
母の母、つまり私のおばあちゃんは桜が満開の日に亡くなりました。
そして、私の大事な人のお葬式に大阪に行った時に、葬儀場の横の公園の桜が満開だったのも思い出しました。
え?そういう事なん? と、怖くて怖くてたまりませんでした。
イギリスに住んでいる妹もどんなに辛かったかと。
特に心配性で、人一倍感情が激しく、家族大好きなので、耐えられなかったと思います。
近くに住む姉と父は1日に5分ほどは病院に入れてもらえたので、その後に母の様子を聞かせてもらう、その電話に毎日しがみついていました。
なんとか母は目を覚まし、生かせてもらえる命だという事がわかりました。
どれほど嬉しかったか。
ただ、左手と左足は動きません。
言葉もあまり話せないので、一生懸命 紙に何か書いては父と姉に伝えようとしますが、それもなかなか解ってあげられません。
姉がそのメモを写メで撮って送ってくれたのですが、
その中に「依里 助けて」というような字がありました。
それを見た時は、苦しくて涙が止まりませんでした。
助けるどころか、行くことさえできず、手をさすってあげる事もできず、
何も出来ないのです。
絶望の真っ暗闇の中で
お母さんが私に助けを求めているというのに!
そうこうしているうちに、コロナ対策で病院は一切の面会を禁止しました。
もう全く、母の様子がわかりません。
毎日毎日、手紙を書いて送りました。
家族が誰も来れない孤独な病室で、母の記憶が薄くならないように、色んな思い出を色々と書いて。
書くために子供の頃の色んな記憶を手繰り寄せていると、母がどれだけ私達のためにしてくれてきたか、母の大きな愛情を改めてひしひしと感じて余計に涙が出ます。
そしてある日の夕方、
優しい看護師さんの計らいで、ファミリーラインのビデオ通話で、母と私たちを繋いでくれました。
やっと顔が見れました。
そしてやっと顔を見せれました。
「お母さん!お母さん!お母さん!」と大声で呼びかけ
みんなぐじゃぐじゃに泣いて大喜びでした。
「生きててくれて本当にありがとう」
次の日の朝、散歩に外に出たら、なんだか空が青くて、新緑が綺麗で、桜はとっくに散ったけど春の花が色々と咲いていて・・・。
私は母が倒れてから
ずっと色のない世界にいたような気がする、
なんだかやっと朝が来たような気がすると感じたあの朝の空気は忘れられません。
それからは毎日少しだけど、夕方にファミリーラインのビデオ通話でみんなで母を励ましたり、笑わせたり・・・(笑う事は一番大事)
最初は泣きながら安楽死させてとばかり言っていた母も、もうその言葉は口にしなくなりました。
心の中では死にたいくらい辛いんだろうけど・・・。
父は毎日、面会禁止で会えない期間も、毎日毎日、洗濯物と一緒に果物やおかずをタッパに入れて差し入れをしてくれています。
ある日、母に「明日は何が欲しい?」と聞くと
「キウイと黒豆とカボチャと、希望」と・・・
希望!
そうだ、希望だ!
それからはみんなで、母が希望を持てる事を考えつくし、希望が持てる言葉をかけ続けました。
母がリハビリで少し手応えがあった日に「えりちゃん、今日はちょっと希望が見えたよ」と言うと、私の目の前にもパーーーっと光が差します。
母の口から「希望」という言葉が出るだけで、嬉しくてたまりません。
母が倒れてから3ヶ月、コロナに阻まれ会いに行けない、
長い長い3ヶ月でした。
心配しすぎて夜も眠れず、私自身も体に色んな不調があり、病院に行ったりもしました。
ようやく緊急事態宣言が解かれ、病院の方も時間制限付きでの面会をさせてもらえるようになったので、先日、四国に飛んで行きました。
やっと会えました。
ほんの短い時間だけど
顔を見て、手を握って、足をさすって・・・。あと、得意の耳掻きも。
私はここ数ヶ月、両手の平が荒れて、皮がむけて、ひび割れて、病院で処方されたケロイド用の薬を塗っても塗っても治らなかったのに、母の手や足をさすったら、何故かみるみる手が治っていき、まだ若干ゴワゴワしているものの、痒みや痛みはなくなりました。
不思議。
っていうか、お母さん ありがとう。
母は右脳が出血したので、左半身に麻痺が出てしまい、
お医者さんは、もう歩くことは出来ません。と言い切ってましたが、
私は、きっとまた歩けるようになると信じています。
実は私は今まで、「希望」という言葉があまり好きじゃありませんでした。
よく、教室の後ろに習字で書いた「希望」って字がずらりと貼られてたりするけど、なんかちょっとダサいななんて思っていたのですが、
でも、今は大好きな言葉になりました。
「希望」という言葉を発したり、母の口から発せられたりする度に、辺りが明るくなった気がします。
なんなら、習字で書いてリビングに張り巡らしたいくらいです。
母は「私のせいでみんなに迷惑がかかる。」と泣きますが、
家族みんなで、希望を持って母を支えていきます。
もちろん先の事はわかりません。
思うように事が運ばない時もあるかもしれないけど、「希望」のストックはいくらでもあるから大丈夫。
身近にいる父と姉が本当に献身的に母を守ってくれていて、感謝でいっぱいです。
私は離れていてあまり何も出来ないのが辛いけど、
私は私にできる事を精一杯頑張るつもりです。
そして、明日がやってくるのはあたりまえではないという事を肝に銘じて、今日1日を大切に生きようと思います。
「えりちゃんの友達は、みんな私の友達よ。」
そう言って、みんなに「たかちゃん たかちゃん」と呼ばれて大切にしてもらってる母が倒れた事、お知らせするべきか悩んだのですが、ただでさえコロナの暗いニュースが流れる毎日、みんなに心配をかけてもいけないし、自粛生活で会えないからラインなどでしか交流できないのに、みんなが気を使っていつものアホLINEをくれなくなったら、私としてはめちゃくちゃ寂しいし・・・
なので、身内だけにしかお伝えしていませんでしたが、
もう三ヶ月も過ぎたので
母が倒れたこと、
でも希望があること、
今はリハビリ病棟で頑張っていること、
私は桜の花がちょっと苦手になったこと、
お知らせしておきます。
できれば、こっそりお祈りしててください。
「また、たかちゃんに会えますように。」と。
長文、読んでいただきありがとうございました。