誕生日ありがとう
2月6日
昨日は私の誕生日でした。
毎年、母に「産んでくれてありがとう」の電話をします。
そして毎年、母は私が生まれた日の朝の話をします。
「今日は寒いねー、あの日もめちゃくちゃ寒くてね、雪が降ってたわ。
朝の7時までに生まれたら夜間料金をとられるんやけど、あんたは7時をちょっと過ぎて出てきたから、生まれた時から親孝行やったわー。」
これが私が生まれて初めてつけたブレスレット。
今もジュエリーボックスに大事に入れてます。
4歳離れた姉の次にやってきた私。
絶対に男の子を!と言う父のプレッシャーの中、入院して陣痛を待つ母。
大阪の十三(じゅうそう)というストリッップ劇場なんかがあるガラの悪い街の中にある産婦人科で生まれました。
陣痛を待つ間、窓から見えるラブホテル『エジンバラ』のネオン看板が文字ごとに「エ・ジ・ン・バ・ラ・エジンバラエジンバラ・エ・ジ・ン・バ・ラ・エジンバラエジンバラ」とリズミカルに着いたり消えたりするのをずーっと眺めていたそうです。
今みたいに生まれてくる子の性別がわからない時代なので、生まれるまでドキドキです。
朝 7時15分 出産
「助産師さんの、元気な女の子ですよー!という声にほんまガッグリきたけどね、赤ちゃんを綺麗にしてからタオルでくるんで連れてきて抱っこさせてくれた時に、まだ目が見えてないと思うんやけど、あんた私を見てニコ〜ッて笑ったんよ。
その瞬間、あー、この子で良かったー!って思ったんよ。
お父さんは女の子ってわかった瞬間から機嫌悪かったけどね。」
まさかその2年後にもう一人、女の子が生まれるとは・・・ぷぷぷ
でも私たち三姉妹が大人になってから、父は母に「おなご3人で良かった」とお礼を言ってくれたそうです。
女の人は子供を産んだ日の事はどんなに細かい事も何年経っても覚えているものなんですね。
そういう私も8年前に子供を産んだ日の事を思い出したら今でも3秒で泣けますが・・・。
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小さい頃の私。
田吾作と呼ばれていました・・・。
お父さん、お母さん ありがとう。